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緊急地震速報チャイム誕生の裏話 第12話「チャイム音にまつわる「縁」の連鎖 -アイヌの物語を中心に-」(最終回)

[fa icon="calendar"] 2020/08/06 10:17:10 / by 伊福部達

伊福部達

 

第12話

 

 シリーズ「緊急地震速報チャイム誕生の裏話」の12回目(最終回)です。最終話の今回はチャイム音にまつわる様々な「縁」のお話です。

 

 

 チャイムの制作にあたっては不思議な縁が幾つかあった。私は戦後まもなく北海道沙流郡平取町にあるアイヌの聖地と呼ばれる「二風谷」で生まれた。このことがチャイムの制作依頼に繋がっていくことになるとは思いもよらなかった。最終回ではその縁の中でアイヌの人たちにまつわる話をしたい。

 

<アイヌの聖地「二風谷」>

 当時の二風谷は1000戸ほどの集落であり、その住民の約7割がアイヌ系の人たちであった。そこにはアイヌの研究と医療に生涯を捧げたスコットランド出身のゴードン・マンローという医師がいた。私の生まれた建物はその医師が住んでいた「マンロー邸」と呼ばれる三階建ての美しい白亜の洋館であった(図1)。マンロー医師の没後、縁あって私の家族が6年間にわたり借り住まいをしていた。父は、その間にアイヌの重要な儀式である「熊祭り」に興味を惹かれ、その一連の工程や規則の詳細を村の古老たちから聞きだして、後に著書「沙流アイヌの熊祭」として著した。私は物心がつく前に札幌の自宅に移ったが、その後も二風谷アイムの人たちが時々父親に会いに来て、村の現状を話し「教育を何とかしたい」と熱く語っていた

  第12話_図1

  図1.生家のマンロー邸とマンロー碑の前にて(201910月)

 

 アイヌは文字を持たなかったが、その代わりに、記憶に残しやすくするために歌や踊りで文化や歴史を伝えていた。音楽的には非常に豊かな文化を持ち、労働歌、叙事詩、子守唄、舞曲など、生活のあらゆる局面で歌や踊りが何らかの役割を果たしていた。宴席で老人が「今の心情を歌に託せば……」と即興で歌うこともあった。先述したように、古老が立って踊り歌う「タプカーラ」もその中の一つである。叔父がアイヌの歌に心打たれて交響曲「シンフォニア・タプカーラ」を作曲し、私がその一部を編曲してチャイム音にした。私がアイヌ集落で生まれたこと、叔父が踊り歌をモチーフにした交響曲を作曲していたことが、チャイム音を生み出す一つの「縁」となった。

なお、現在は、二風谷には昔の集落の面影を残した公園が作られ、その中央には民族的な雰囲気のある「アイヌ文化博物館」が建っている。そこではアイヌ文化や歴史を保存しながら、発掘や調査によるアイヌ研究が続けられている。

 

<樺太アイヌ録音蝋管の再生> 

 今から、35年ほど前、私が北大に務めていた頃、「樺太アイヌ」の歌や音楽が録音された蝋管レコードがポーランドで73本も発見されたというニュースが入った。これはポーランドのブロニスワフ・ピウスツキという人類学者が1900年の初頭に録音したものであった。ピウスツキはワルシャワ大学の学生だった時にロシア皇帝3世の暗殺計画に連座したことで逮捕され、ロシアの極東の樺太に流刑、つまり島流しにされた。この間、樺太アイヌの酋長の娘と結婚したり学校を造ったりして、樺太に溶け込んでアイヌの風習や文化を記録していたが、蝋管レコードはその中の一つである。文字を使わないでアイヌ文化を伝えていたのだから、蝋管に録音されている歌や音楽はアイヌの歴史を知る上で極めて貴重な資料である。それを再生して欲しいという依頼が飛び込んできたのである。

 それから半年にわたり悪戦苦闘の蝋管再生に取り組むことになったが、その過程と録音したピウスツキの数奇な運命は一つの貴重なドラマでもあった。NHKがこれに興味を持ち、半年間の再生過程は1984年に「ユーカラ沈黙の 80 年〜樺太アイヌろう管秘話」と題したTVドキュメンタリー番組となった。

 この番組から20年以上が経過し、私が東大に移って間もなく、その番組のスタッフの一人が「僕のこと覚えていますか」と私の部屋を訪ねてきた。放送で緊急地震速報を出す制度ができたので、そのチャイム音を作れるような人を紹介して欲しいと頼みにきたのである。結果的には私が制作することになったが、100年前の樺太アイヌ蝋管の歌を再現した研究と、それを番組にした製作スタッフとが、チャイム音を作る上でのもう一つの「縁」となった。なお、ピウスツキの生涯と蝋管の再生過程は拙著「福祉工学への招待」(ミネルヴァ書房、2014年)に詳しく書いた

 

<ピウスツキの再評価と「熱源」> 

 ピウスツキは刑が解けた後、ロシア文学の作家二葉亭四迷や早稲田大学の総長となった大隈重信など日本の要人達に会い、日本ポーランド協会を構想したが、それが実らないままパリのセーヌ川で謎の死を遂げた。なお、それから半年後、彼の弟がポーランドの初代の国家元首になっている。

一方、前述のアイヌ文化博物館の研究員の調査により、最近、1903年にピウスツキは二風谷に一週間ほど滞在していたことが分かった。その発見をテーマにして、昨年(2019年)の秋に「1903年夏の平取-B・ピウスツキたちの短期調査より-」と題した特別展が平取で開かれることになった(図2)。そこから「ピウスツキのロウ管-アイヌ語音声の再生と活用-」というタイトルで特別講演をして欲しいと依頼された。

 

第12話_図2 

図2 ピウスツキとその特別展のポスター(二風谷アイヌ文化博物館)

 

 私は、蝋管再生は遠い昔のことなので何を話したらよいのかと暫く考え込んだのであるが、まずは東京に来てから開発したポータブル蝋管再生機を持ち出し、それが正常に働くかどうかをチェックした。この機械は、ピックアップでもレーザー光線でも再生できるので、ヒビが入ったり割れたりした蝋管でも再生できるという自信作である(図3)。しかし、中々出番がなかったので、それを活かし知ってもらうチャンスかと考え、まずは再生機を平取に送った。それから父親のアイヌ熊祭りの資料や、NHKドキュメンタリーの映像を編集し、最後にチャイムの話に結び付けて一つの物語を作った

 

第12話_図3 

図3 ポータブル蝋管再生機
触針あるいはレーザーで再生

 

 平取にある会場に着くと、アイヌの人たちも含めて70人ほどの人が出迎えてくれた。その中の幾人かは私のことを覚えていて昔話をしてくれた。講演では、運んできた再生機で実物の蝋管をピックアップとレーザー光で再生するという実演を交えながら、ピウスツキ録音蝋管の再生音からはこれからも色々な発見があるのではないかと結んだ。

 帰京してから、「熱源」という小説を書いた川越宗一という作家が直木賞を受賞したこと、その中にはピウスツキの生涯に触れていることを新聞記事で知った。二風谷でのピウスツキの講演の熱が冷めないまま、本を買って一気に読んだ。実はこの小説は、一人の樺太アイヌの生涯を描いたものであり、まるで映画を見ているような細かな描写により、明治時代の樺太アイヌの差別とその苦悩、教育問題などが書かれたいた。その中でも、ピウスツキが主役であるかと思わせるほど彼の生き方については詳細に記述されており、この作家もピウスツキに強く惹かれていたことが想像された。

 アイヌの聖地「二風谷」、叔父の交響曲、ピウスツキの「蝋管」を結ぶ糸がチャイム音に繋がり、私の頭の中ではその糸は樺太アイヌを描いた「熱源」にも繋がった。チャイム音にまつわる縁の連鎖、次にどのような縁が待っているのか、楽しみである。

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緊急地震速報チャイム誕生の裏話は、今回の12話をもって終了いたします。
次回は、新コラムをお届けいたします。
お楽しみに!

 

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Topics: コラム

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