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緊急地震速報チャイム誕生の裏話 第7話「チャイムの原典『シンフォニア・タプカーラ』」

[fa icon="calendar"] 2019/12/27 13:00:00 / by 伊福部達

伊福部達

 

第7話

 

 シリーズ「緊急地震速報チャイム誕生の裏話」の7回目です。今回は緊急地震速報チャイムのルーツとなったとある民族音楽についてのお話です。

 


 私の音楽の好みは、作曲家の叔父・伊福部昭(1914〜2006年)の影響が根強い。実は、子供の頃、家で聴かされた音楽のほとんどは叔父の純音楽であり、バッハ、モーツアルト、ベートーベンなどの有名な作曲家の曲はあまり聞いた覚えがない。私の音楽観は偏っていると言わざるを得ないが、それは仕方がないことである。なお、私が叔父の家を訪ねたときに純音楽の話は幾度となく聞かされたが、映画音楽については「あれは違うものだから」と話したがらなかった。身内の宣伝するようであるが、伊福部昭とチャイム音のモデルとなった純音楽「シンフォニア・タプカーラ」について話したい。

 

<アイヌ音楽>

 叔父は1914年に北海道の釧路で生まれ、音更という小さな村(現:河東郡音更町)で少年時代を過ごした。その頃の村はアイヌの人たちが多く住んでおり、祖父(叔父の父親)が音更の村長をしていた時、叔父もアイヌの子供たちと一緒のクラスに入り分け隔てなく学び、遊んだそうである。アイヌは文字を持たない民族であるので、文化の伝承はすべて〝口伝え〟であり、選ばれた巫女(みこ)が専門職として〝語り部〟を務めた。文字を持たない代わりに、音楽的には非常に豊かな文化を持ち、労働歌、叙事詩、子守唄、舞曲など、生活のあらゆる局面で歌や踊りが存在した。文字の代わりに、記憶に残しやすくするために歌や踊りで文化や歴史を伝えていたのであろう。叔父は、宴席で老人が「今の心情を歌に託せば……」と立ち上がり地団太を踏むように踊りながら即興で歌うことを、しばしば見聞きしたそうである。アイヌ音楽は、詩と踊りと音楽が混然一体した原始的な一種の「バラード」が特徴だそうで、「タプカーラ」と呼ばれる踊り歌のもその中の一つである。

 札幌に来てからは、札幌第二中学(現:札幌西高等学校)を経て北海道大学で農学を学んだ。音楽は全くの趣味であり独学であったが、20歳の1934年に転機がきた。大学を卒業した後、北海道の厚岸という小さな町で林野官として働いていたとき、チェレプニン賞という日本人作曲家の管弦楽曲を対象とした世界的なコンクールの公募があることを知った。友人の勧めで「日本狂詩曲」という極めて民族的な響きのある管弦楽曲を書き、そのコンクールに応募したところ一等になったのである。東京で活躍していた作曲家たちは、日本のお祭りをモチーフにした音楽を世界的なコンクールに出すのは国辱であり、そもそも北海道の端っこに作曲家がいるとは考えられない、ということで叔父の曲の応募を却下したそうである。しかし、折角、送ってきたのだから応募に応えることは認めたらどうか、という意見があり、何とか審査会のあるフランスに送られることになった。

 一等になったのをきっかけに、その後も民族的な響きを持つ幾つかの管弦楽曲を世に出していた。しかし、第二次世界大戦の中、戦闘機に使う木材に放射線を当てて強化するという研究に携わり、それが原因で病に倒れたと言われている。戦後まもなく、札幌での音楽家仲間である早坂文雄が映画音楽で生活していけそうだと言って上京していた。早坂の誘いもあり病が治ってから上京する決心をし、プロとして本格的に作曲活動を始めた。なお、早坂文雄は映画監督黒澤明と組んで「羅生門」や「七人の侍」などの音楽を担当し、後に日本を代表する作曲家の一人として名を成すようになった。

 

<シンフォニア・タプカーラ>

 世間的には映画「ゴジラ」を初めとする300に及ぶ映画音楽を通じて伊福部音楽が知られるようになるのであるが、実際のフィールドは管弦楽や器楽曲、箏曲(そうきょく)、歌曲のような純音楽である。しかし、戦後まもなくは、民族的なものをベースとしてた曲は古臭くて作るに値しないとか、最新の作曲技法を取り入れた現代音楽こそ挑戦すべきであると主張するのが音楽界の潮流であった。その上ゴジラなどという「お化け映画」に手を染めたことで、ますます純音楽の世界から見放されていった。

 

第7話_図1 

図1 映画「ゴジラ」の音楽と交響曲「シンフォニア・タプカーラ」を
書いていた1954年頃の伊福部昭

 

 実は、ゴジラ音楽を書いた同じ1954年に純音楽の「シンフォニア・タプカーラ」を作曲している(図1)。タプカーラというのはアイヌ語で「立って踊る」という意味で、興に乗ったときに立ち上がり足踏みをしながら即興で歌う歌である。この曲の第一楽章は、北海道の雄大でゆったりとした情景にふさわしいメロディーから始まる。そのうちに、踊りのリズムが入って曲が次第に激しくなり、同じメロディーが執拗に繰り返される「オスティナータ」になる。第三楽章の冒頭では、ジャンという和音に続き、さあ踊ろうとけしかけるようなリズムとメロディーが繰り返され、最後は何かが爆発するように終わる。ところが、この曲の初演を聞いた批評家から「それは音楽といえるだけの構造を持っているかとさえ疑わしく、かりに作曲者が何かいいたいことを持っていたとして、それをこの曲を通して受け取ることは何としても不可能である」(「音楽旬報」1956年3月下旬号)と酷評を得たそうである。

 その後の曲に対しても同じような批評が続くが、叔父は「優れた音楽は、民族の特殊性を通過してはじめて、普遍性に到達する」という信条を曲げることは無かった。普遍的なものに到達するには、脳の深部で響く民族的な音に耳を傾ける必要があり、その響きを譜面に下ろすまでには時間がかかる。そのもっと深部には民族を超えた人類あるいは生命が共有する感性が息づいていると信じていたのであろう。その結果生まれるものは、「大楽必易」すなわち「優れた音楽は必ず聴く者に分かりやすいものだ」と説いている。伊福部昭は、2006年に92歳で亡くなったが、70年を超える作曲活動を通じて独自に築いた芸術論を貫き通した。

 

<チャイム音のモデル>

 チャイム音の素材として、純音楽の「シンフォニア・タプカーラ」に選んだ理由は第三楽章の冒頭の和音が「適度な緊張感」と「インパクト」をもっていたからである。私は、「何かが来る、さあ行動しよう」という印象を強く受け、これはチャイム音に活かせそうだなと直感した。一方では、叔父の信条を貫いた曲を少しでも世に残る手助けになればと思ったのも理由の一つである。そして何より、叔父の息子たちに頼むことにより、著作権で訴えられる心配がなくなるかも知れないという現実的な理由もあった。次回は、この冒頭がどのようにチャイム音に変化していくかを話したい。

 

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Topics: コラム

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