Bitis ブログ

高齢社会を豊かにするテクノロジーを求めて  第6話 デジタル社会はヒトの脳にどのような影響を与えるのか

[fa icon="calendar"] 2021/04/30 9:02:00 / by 伊福部達

伊福部達

 

第6話

 

 シリーズ「高齢社会を豊かにするテクノロジーを求めて」の第6回目です。今回は「デジタル社会と脳システムの進化」についてのお話です。

 

 

 

 今なお続いている新型コロナウィルスの感染状況のニュースはテレビやネットで連日報道され、我々は毎日変わる感染者数の増減で一喜一憂している。その情報によって繰り返しストレスを受けながら、将来どうなるのかという不安を感じている人も多いと思う。しかも外国からの深刻な状況を伝えるニュースも否応なしに入ってきて、一部の識者は日本もいずれ同じようになるとコメントするのだから、ますます不安な気持ちになる。感染が世界中に広まる「パンデミック」よりも、情報が広がることで人々を不安にさせる「インフォデミック」の方が怖いのではないかとも言われている。人類が活動し始めた頃の1つのコミュニティは多くても150人程度で構成されていたというのに、フェイスブックやツイッターなどのSNSで繋がる現代人のコミュニティ内の人数は計り知れないほど多くなっており、それだけ情報の拡散も速くなっている。インフォデミックはWHO(世界保健機構)も警告をだしているように、現代人の脳システムに与える影響は想像以上に大きいのではないかと思われる。

 本ブログでは、テレビやネットで連日報道される新型コロナの情報に代表されるように、世界中から瞬時にして情報が得られる「デジタル社会」にヒトは適応できるのか、ヒトの生体システムとくに脳システムの進化の過程から考えてみたい。あくまでも個人的な見解であるので、高齢社会にICT(情報通信技術)を活かす上での注意すべきこととして読んで頂ければ幸いである。

 

〇個体発生は系統発生を繰り返す

 人類は多くの種があり一部は交配していたとされているが、DNA鑑定からは現代人の遺伝子はアフリカのサバンナで居住していたホモ・サピエンスに由来しているという。彼らは、「狩猟と採集」により食べ物を獲得していたが、その間、ヒトを襲う敵と戦ったり、敵から逃げたりするという常に危険と背中合わせの生活だった。また、食料が手に入らない期間が続くと飢餓に陥るし、災害や疫病からも身を守らなければならなかった。昼夜にかかわらず、周囲で何が起き、それにどう対処すべきかを判断するという過酷なストレスの中でも頑張って生き延び、遺伝子を残してきたといえる。このようにして命を繋いだ先祖には、本当に頭が下がる思いになる。

 先輩の動物たちは、ウィルスや微生物だった40億年もの長い時代からカンブリア紀に入って爆発的に種を増やし、それから約5億年もかけて色々な困難な時期を経て今の生体システムを獲得していったと言われている。ヒトは昔の動物のシステムを踏襲しながら進化してきたので、大先輩のウィルスたちにいじめられたとしても余り文句のいえる立場ではない。ところで、母親の体内で宿った生命は、動物の進化の過程をたどりながら、胎内の中でヒトという動物に成長している。すなわち図1の左に示したように、「個体発生は系統発生を繰り返す」ことを忠実に行っているのである。

 

第6話_図1左第6話_図1右
図1 
左:体内での胚の成長と動物の進化の過程、右:脳における進化の概略

 

 このように、ヒトは動物の誕生以来、約5億年にわたって環境に適応するようにゆっくりと進化してきたので、数万年の環境変化ではその生体システムはあまり変わらない。つまり、現代人と言ってもその生体システムは狩猟と採集で生活していた頃の人類と基本的には変わっていないのである。図2の右に示したように、ヒトの脳も系統発生を繰り返して後頭部から前頭部へと発展し、生命維持や運動に必要な「延髄や小脳」から感情や情緒に関わる「大脳辺縁系」、さらに意欲や創造性に関わる「大脳皮質」からなる脳システムになった。数万年にわたり、大きな環境変化が無かったことから、ヒトの脳システムも殆ど変化していないと考えられている。

 

〇デジタル社会の中の生体システム

 ところが、この半世紀ほどの間に、コンピュータが進化し、世界中にネットワークが張りめぐらされ、それが僅か10年ほどでスマートホン(以下、スマホ)などの携帯端末を使って、誰もが世界中の情報を逸早く手に入れることができる環境になってきた。現代人は、このICT(情報通信技術)による激しい環境の変化に適応し、進化するのかという大テーマを抱えてしまった。

 このような背景の下で、スマホなどによるSNSが子供や学生など若者の脳に与える影響を精神医学や脳科学の観点から書かれた著書「スマホ脳」(アンデシュ・ハンセン著、久山葉子訳、新潮新書、2020年)が話題を呼んでいる。スウェーデンの精神科医であるハンセン氏の病院を訊ねる若い人たちの中で、眠りを誘う「メラトニン」が減少し睡眠不足の人が増え、抗うつ剤に頼る人がこの10年の間で8倍くらい増えているそうである。この著者は、最近の研究をまとめた多数の文献や調査の結果を挙げながら、この高度なデジタル環境にヒトの脳システムが適応できないのではないかと警鐘を鳴らしている。

 私も一読して共鳴するところが多かったので、分からない専門語を調べたり、納得できない所は何度も読み返したりした。デジタル化社会が急速に進んでいる現代、高齢社会を豊かにするテクノロジーを考える上で、この著書からも幾つかのヒントが得られる。

 

〇ヒトの脳に仕組まれた「生存システム」

 前述のように、人類が生まれた頃は食べ物を探すために歩き回り、常に周囲の状況をセンシングしながら、人間を襲うような動物に出会った時には直ぐに身構えると同時に「戦うか」か「逃げるか」を判断しなければならなかった。「闘争と逃走」のために逸早く心臓の鼓動を速くして、血液を全身の筋肉に送り、態勢を整えたのである。前記の著書「スマホ脳」の言葉を借りて具体的に述べると、あらゆる感覚を使って得た情報は脳の中心にある火災報知器のような役割をする「偏桃体」でキャッチされ、「視床下部(H)」、「下垂体(P)」を刺激して「副腎皮質(A)」から恐怖に関わる「コルチゾール」や「アドレナリン」などのストレスホルモンや神経伝達物質が脳内に放出される。その結果、心臓の鼓動が速くなり、血液が全身の筋肉に回わり身構えの準備ができあがるのである。

 これはHPA系と呼ばれており、ヒトに限らず多くの動物が生き延びるために獲得したシステムである。HPA系のお蔭で首尾よく行動が達成されると気持ちを安心にさせる「セロトニン」という神経伝達物質が脳内に運ばれる。さらに行動が上手くいってボス猿のような高い地位につくとセロトニンは大きく増え、逆にセロトニンが減少すると気持ちが不安定になり「うつ」状態にも繋がることが分かっている

 そしてもう一つ行動を促すのに重要なのは、良く耳にする「ドーパミン」という神経伝達物質であり、これは運動、意欲、学習を促進させる役割がある。新しい物や人に会う体験をするときや新しい情報を得たりするときに放出される。ドーパミンに誘発された行動がうまくいくと、「エンドルフィン」などの伝達物質が放出され、満足や幸福を感じさせる。このシステムは「報酬系」と呼ばれ、ドーパミンが放出されて行動がうまくいったら体内のモルヒネとも呼ばれるエンドルフィンが満足を感じさせ、さらに行動を促すような循環系になっている。HPAシステムや報酬系が数万年にわたり変わっていないにも関らず、現在、デジタル社会という急速な環境変化が起きているのである。

 

〇長時間にわたるストレス情報

 数万年前のヒトの場合、恐怖や不安に繋がるストレスは、敵の動物や人に襲われる、食べ物が無くなる、自然災害や疫病の蔓延、などの時に強く感じたが、そのストレス負荷は割と「短時間」で済んだ。現代社会で問題なのは、スマホのような情報端末を常に手にしながら、世界中から次々に入ってくる情報の渦の中に巻き込まれ、脳に与えるストレスが絶え間なく続いていることである。近未来に起きるかも知れないことにもストレスを感じ、それで余計な不安を感じたり、新しい情報に振り回されて、長時間にわたり集中して何かを考えることも難しくなったりする。さらに困ったことに、知らないことはネットで検索して済ませることから、記憶がいったん大脳辺縁系にある「海馬」に入っても、それから長期に記憶するための記憶回路や蛋白質ができにくくなる、つまり「長期記憶」がしづらくなることである。

 SNSの脳システムに及ぼす影響の功罪の罪にばかり目を向けていたが、本題である「高齢社会を豊かにするテクノロジー」に話を戻そう。実は、JSTのS-イノベのプロジェクト「高齢社会(略称)」が始まる前にICTの活かし方の議論がなされていた。ただし、iPhoneのようなスマホは現在ほど普及しておらず、若者も高齢者もケータイを持っていたが、その多くは孤島のガラパゴスのように島国の日本だけで普及していたボタン式携帯電話いわゆる「ガラケー」であった。当時は、SNSの功罪よりも、それを積極的に高齢社会にプラスに活かすための議論が盛んであった

 

〇身体的フレイルと社会的フレイル

 

第6話_図2  

図2 左:身体的フレイルになる悪循環、右:社会的フレイルになる悪循環

 

 最近、「フレイル」という言葉を見聞きした方も多いかと思う。これは、図2の左に示したような「身体活動の低下→摂食量の低下→筋肉量の低下→身体活動量の低下」という悪循環により心身の活力が低下した状態をさす。ただし、日常生活で介護が必要な状態までは行っておらず、いわば健康な状態と介護状態の中間を意味する。現在、東京大学のIOG(高齢社会総合研究機構)では、機構長である飯島勝矢教授が中心となって「身体的フレイル」を予防する方策を国民的な運動として提言し実施している。

 一方、図2の右に示したように、一般に高齢化に伴い社会との接点が少なくなると「つまらない」、「やる気が起きない」、「行動しない」、「変化が起こらない」、したがって「つまらない」という悪循環に落ちる場合が多いことが分かっている。例えば、現役で重要な役を与えられて頑張っていたサラリーマンが定年になって暫くすると、刺激が少なくなるので「つまらなく」感じて上記の悪循環が始まり、引きこもりやうつ状態に陥りやすいというパターンである。このような状態は身体的フレイルに対して「社会的フレイル」と呼ばれている。

 

〇ICTを高齢社会に活かす道へ向けて

 社会的フレイルが進行すると、仲間たちに会いに行って、食べたり、喋ったりすることも減るので、結果的に身体的フレイルに陥りやすくなる。これらのフレイルは新型コロナで自粛を余儀なくされている誰もが実感していることであろう。JSTプロジェクトの始まる前に、高齢社会においては、社会的フレイルを如何に予防するかが身体的フレイルにも関係して極めて重要であるという一つの仮説を立てた。本ブログでは、スマホなどを使ったSNSは長期間のストレスを与え脳に悪影響を与えるという「マイナス」の面を述べたが、SNSを含むICTは社会的フレイルを予防する上で役に立つ可能性がある。実は、この社会的フレイルと脳内の報酬系およびHPAシステムにおける循環が深く結びついていることが解ってきている。ICTは諸刃の刃であるが、次回のブログでは、脳システムと関連させながら、高齢社会を豊かにするためにSNSを含むICTを「プラス」に活かす方法について考えたい。

 

 

 

===============================================================

BCP対策として初動対応マニュアルの作成はお済ですか?マニュアルを作成する上で、災害リストの想定が必要になってきます。リスクを想定して避難計画を立てるポイントをまとめたホワイトペーパーをご用意しておりますので、ぜひご活用ください!

↓ダウンロードはこちらから
初動対応マニュアル「災害リスク想定」

 ===============================================================

 

 

Topics: コラム

あわせて読みたい

伊福部達

Written by 伊福部達